たぶん世の中的にどうでもいいことを考えるブログ
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Author:薫
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私にとって、野球はファンタジー。
リアルな仕事やその他諸々で疲れたワタシを癒してくれるカンフル剤。 雑然とした球場で、野次オヤジと同化して叫ぶ瞬間がサイコー。 というわけで、今日のテーマはリアルとファンタジー。 先日、「an an」という雑誌に、ダルビッシュの裸が載った。 よくよく見れば非常にコワイ顔をしているダル。 ちょっとでも近づいたら「殺すぞ!」と言われそうな表情である。 こんなガン見するガキを表紙に持ってきて、SEX特集もヘッタクレも無い気がしないでもないが…。 ま、表情云々は置いといて…。 ダルビッシュはセクシーじゃないなぁ、と思う。 何が原因なのであろうか。 顔は綺麗な顔をしていると思う。 切れ長の目に高い鼻に、薄っぺらな唇。 コレを『いい男』とは言えないかもしれないけれども、美形とか綺麗という表現は当てはまるであろう。 しかしセクシーではない。よってSEX特集にダルビッシュの起用は失敗だったと思われる。 いやでもダルヌードがこれだけ話題に上る時点でananの勝ちなのか…。うーん。 話がズレた。 ダルにセクシャルな魅力を感じないのは、一言で言ってダルが「ファンタジー的存在だから」と分析してみましたが、いかがなもんでしょ。 日ハムでファンタジー的存在といえば、新庄がまさしくソレだった。 以前VSというスポーツ誌があったのですが、その雑誌が新庄を取り上げたとき、そのような記述があり「なるほどなぁ」と思ったのです。(※後日、気が向いたらきちんと調べてみます) 新庄にはまるでマンガでありそうな声援が飛ぶ。 「きゃー、新庄さーん」というような、イマドキそんな声援あるんかいな、というような。 それはひとえに新庄が「ファンタジーな存在」だったから。 …と。 ファンタジーだからこそ、彼はプリンスと呼ばれてもOKなのだ。 (っちゅーことはハンカチ王子もファンタジー的存在なのだろうか。しかし私は彼が嫌いだ) ファンタジーには、生臭いモノは必要無いのである。 性であるとか人間の生理現象だとか。 だから新庄は体が悲鳴を上げていても笑い続けていたのであろう。苦痛はファンタジーの敵である。 彼は自分がファンタジーな存在で、それを守りきるのだという自覚もあった。 ダルにその自覚は…感じられない。 だからSEX特集と名の付く雑誌の表紙をヌードで飾っちゃったりもしたのであろう。腋毛ドーン、で。(KIDさん、この名言拝借。笑いました。) 多分新庄なら、『脱ぐ』シーンをもっと吟味したのではないのかな? 新庄は自らがファンタジーであるという意識が徹底していたので、脱いでもファンタジーだった。 パンツの新庄もお肌ツルツル。 ファンタジー的要素が満載であった。 ファンタジーには腋毛もスネ毛も必要無いのである。 朝起きたら髭を剃る新庄のイメージなど、少女に抱かせてはならないからである。ファンタジーに毛は不要。 だから、ダルのハダカを見た人に違和感を与えてしまったのではないかな。 ダルが周囲(わたしたち)に抱かせるイメージはファンタジーなのに、リアルダルビッシュを見せてしまったから。 そりゃ腋毛もありますよ。 これが例えば、それこそ香水の特集とかで、薔薇風呂に入るダルヌードだったりしたら、案外ウケは良かったかもしれない。 ダルビッシュと薔薇風呂…。 腋毛よりはファンタジーな気がしませんか? 私がセクシーさを感じるのは、ファンタジーではなくリアルだから、ダルビッシュ(=ファンタジー的存在)にセクシーを感じなかったんだなぁ。と、思います。 よりリアルに近い飯山とか、工藤のスーツ姿で、ちょっとネクタイを緩める姿などに、よりセクシーさを感じるであろうと思われる。 お、書いててちょっとイイ感じだ。 ロッテの小宮山さんが眼鏡を外すシーンなんかにも、セクシーさを感じるかもしれない。 しかしまぁ、セクシーさを感じる部分ってのは人それぞれだろうし、一一概にコレとは言えませんが。 少なくともファンタジー的存在が、リアルなセクシーさを追求したところで、与えるインパクトもたかが知れいていると思います。 ちなみにひちょりや、意外にも武田勝もファンタジー的存在だと見ている。(武田久はリアルである) で…私がこれまで一番「セクシーやなぁ」と思ったのは、スラムダンクの牧紳一だったりする。 ![]() ………ファンタジーも何も実在すらしねーじゃねーか!! という突っ込みは無しの方向で。 |